妻が、限界を迎えていました。
子どもがまだ小さかった頃、私はほとんど育児に関わっていませんでした。仕事を理由に、ずっと妻に任せきり。家にいても、ただの同居人みたいに、家族の中心にいる妻と子どもを横目に見て暮らしていた。
ここに書くのは、そんな私が、ある夜から始まった2年間で何を変えたかの記録です。
結論から書くと、私が選んだのは「自分の時間を、文字通りゼロにする」という極端な道でした。仕事は家業の都合で減らせなかった分、別のところを削るしかなかったんです。
これは万人向けの答えじゃありません。でも、同じように動けずにいるパパに、こういう道もあると伝えたかった。
(その2年が始まる前、自分が「ただの同居人」だったと気づくまでの話は、こちらの記事に書きました)
1回目の「家族会議」。妻が、限界を迎えていた

ある日、仕事中に妻からメッセージが届きました。
「もう限界かも」
たったそれだけの、短いメッセージでした。
家庭を顧みない私に、ずっと愛想を尽かしていた妻からの言葉です。普段ならこんなメッセージは送ってこない。ただごとではない、とすぐに分かりました。
すぐに早退して、家に帰りました。 玄関を開けると、リビングのソファに妻が沈み込むように座っていました。何かが、完全に擦り切れているように見えた。
話を聞くと、ぽつりぽつりと言葉が出てきました。「もう子どもの顔を見るのが、しんどいときがある」と。
そこでようやく、これはまずいと気づいたんです。 妻の様子がおかしいことには、本当はもっと前から気づいていました。でも私は、「忙しいから」「自分にはどうしようもないから」と言い訳を並べて、目を逸らしていた。
気づくのが、遅すぎたんです。
それから、すぐに子どもを実家に預けに行きました。そして、妻を連れて、家の近くの居酒屋に向かいました。ふたりだけの「家族会議」。そんな大げさな名前で呼ぶほどのものでもなかったけれど、私たちにとってはそうとしか呼べない、大事な夜でした。
妻は、話している途中で泣き出しました。 「やっぱり、自分は子どもが嫌いなのかもしれない」「こんな母親に育てられる子どもがかわいそう」と、自分を責めていた。
その姿を見て、私が今までずっと、妻一人にすべてを押し付けていたことを、ようやく実感しました。
そこから、妻に具体的にやってほしいことを聞いていきました。
- 段ボールゴミをまとめる
- 毎週金曜日の洗面台とお風呂の排水溝掃除
- 土日の子どもの宿題の手伝い
- 週末イベントの前日準備
- 子どもの進学のことを、真剣に考える
ひとつひとつ、メモを取りました。
「やっているつもり」だった1年間
言われたタスクは、確かにやりました。
段ボールゴミは、忘れた日もあったけれど、できるだけまとめるようにした。金曜日の排水溝掃除も、続けた。土日は宿題に付き合い、週末イベントの前日準備もした。進学のことも、妻と話すようになった。
自分なりに、ちゃんとやっているつもりでした。
でも、妻の表情は、何も変わらなかった。
家の中の空気が、ずっと冷たかったんです。妻と交わす言葉は、必要最低限。笑顔も、ほとんどなかった。子どもがいないところでは、まるで他人同士のような距離感。
毎日こんな状況が続いて、正直に書くと、別れることを考えた時期もありました。「私なんかより、妻と子どもを幸せにしてくれる人が、他にいるかもしれない」とまで思った。私が家を出たほうが、二人のためになるんじゃないか、と。
今思えば、妻のほうも、家にもう一人大人がいるのに頼れない、という孤独を抱えていたんだと思います。「夫がいるのに孤独」というのは、こういうことだったのかもしれません。
2回目の「家族会議」。「1年前と、何も変わっていない」

1年が経った頃でした。
自分なりにやってきたつもりだったのに、妻の機嫌が良くならないことに、自分でも理由が分からなくなっていました。何が不満なのか、知りたかった。
そこで、もう一度、妻を居酒屋に誘いました。同じチェーン店。2回目の「家族会議」でした。
「1年前と、何も変わっていない」
私から誘ったのに、話し始めは気まずかったです。最近、ちゃんと話をしていなかったせいかもしれません。少し、他人の距離感がありました。
しばらく当たり障りのない話をした後、妻が、ぽつりと言いました。
「正直、1年前と何も変わってない」
それを聞いた瞬間、頭に血が上りました。
私はやってきた。やってきたつもりだった。言われたタスクは続けたし、自分なりに考えて、妻が楽になりそうなことも増やしてきた。それを、何も変わっていない、と言うのか。
「じゃあ、具体的に何を変えればいいんだ」と聞きました。少し、口調がきつかったと思います。
分からないなら、全力でやってやる
妻からの答えは、こうでした。
「ふたりで育児をしている、っていう実感が欲しい」
実感、と言われて、戸惑いました。「具体的にどうすれば、実感が持てる?」と聞き直しても、妻は「分からない」と言いました。例えば、と「おでかけスポットのアイディアを出してほしい」と一つ挙げてくれましたが、それも本人が、しっくり来ていない様子でした。
私の中で、何かが切れたんです。
分からないことを求められても、困る。具体的に教えてほしい。でも、妻も具体的には言えない。これは、聞いて分かる話じゃないのかもしれないと、ようやく分かりました。
家までの帰り道、頭の中がぐるぐるしていました。
「分からないなら、全力でやってやる」
そう決めたのは、その帰り道だったと思います。中途半端だと、永遠にこの繰り返しになる。だったら、もう振り切るしかない。妻に「もう十分」と言われるまで、行けるところまで行くしかない。
「分からないなら、全力でやってやる」と腹をくくった日

決意は固まったものの、現実的な制約がありました。
仕事は、変えられない。私の家は家業をやっていて、簡単に転職できる立場ではなかった。残業を減らすことも、難しかった。毎日10時過ぎに帰ってくるのが普通で、深夜になることも珍しくない。
つまり、仕事の時間を減らして育児に回す、という選択肢が、私にはなかったんです。
仕事の時間を削れないなら、削れるのは、自分のために使う時間しかありませんでした。
自分の時間を、ゼロにすると決めた
自分の趣味の時間。ブログを書くこと、車のメンテナンス、漫画、映画、キャンプ、スマホで意味なく時間を消費すること、友人との時間。
これを全部、やめると決めました。
文字通り、一切自分のために時間を使わない。中途半端にすると、絶対にズルズル戻る自分を知っていたから、ゼロにするしかなかったんです。
自分の感情と「家族の平和」を、天秤にかけました。家族を、選んだ。それだけの話です。
やる場所と、やらない場所を、はっきり分けた
引き受ける家事も、決めました。
妻が平日の夜にやっていた後片付け系の家事を、全部私の担当にしました。食器洗い、部屋の片づけ、お風呂の掃除、トイレ掃除、洗濯、ゴミ出し。どれだけ遅く帰ってきても、絶対にこなすと決めました。
仕事のプロジェクトと同じです。「気づいたらやる」じゃなくて、「自分のタスク」として。平日でも、「疲れているから今日はサボる」は禁止にしました。仕事でも、疲れたからサボるなんてことはしないはずだから、家のことも同じ扱いにする、と自分に言い聞かせました。
ただし、全部を抱え込もうとはしませんでした。
床掃除は、ロボット掃除機オンリー。洗濯は、毎回乾燥機までかける。たたまなくていい下着とかは、そのまま引き出しに突っ込むだけ。
料理は、妻に任せました。妻が料理好きで、私は教えてもらっても全くダメだったから、ここは無理に踏み込まなかった。
子どもの最終の寝かしつけも、妻に任せました。子どもがどうしても妻じゃないと寝なかったから、私の担当は寝かしつけの絵本までで止めたんです。
やる場所と、やらない場所を、はっきり分けたんです。
削れるところは、徹底的に削る。家電と外注に任せられるものは、ぜんぶ任せる。その上で、自分が向き合うべき場所には、全力を注ぐ。これが、私にとっての「全力育児」でした。
忙しさは、関わらない理由にならなかった

関わると決めた人は、どんなに忙しくても関わる
ちょうど私の決意が固まってきた頃に、職場である上司の話を聞きました。
その上司は、毎日深夜まで仕事をしていて、休日も呼び出されたら飛んでいく、典型的な「仕事第一」の人でした。でも、不思議なことに、子どもの行事ごとには、何があっても必ず参加していたんです。
昔から家族イベントには全力で、クリスマスはサンタ、節分は鬼になりきる。そして成人した今でも、子供と二人きりでいろんなところへお出かけできるような良い関係が築けている。
その話を聞いて、ハッとしました。
「忙しい」は、子どもと関わらない理由にならないんです。
関わると決めた人は、どんなに忙しくても関わる。関わらない人は、忙しくなくても関わらない。それだけの差でした。私も、子どもと関わることに、もう一段「全力」を注ごうと思ったのは、この話を聞いてからでした。
行動を変えたら、気持ちが後からついてきた
そこから、子どもとの遊びを変えました。子どもと同じ番組を見るようになった。好きなキャラクターを覚えた。公園では、ベンチに座って放置していたのをやめて、一緒にジャングルジムを登り、一緒に鬼ごっこをして、一緒に滑り台で滑った。おままごとも、本気でやりました。
最初は、正直つまらなかったです。 何が楽しいのか、よく分かりませんでした。それでも、大げさに楽しんでみました。
そうしているうちに、不思議なことが起きたんです。 本気で楽しいフリをしているはずなのに、いつのまにか、本当に楽しくなってきた。
これは後から気づいたことですが、自分の中では、「気持ちを変えてから行動する」じゃなくて、
「行動を変えたら、気持ちが後からついてきた」
という順番でした。
考え方を変えるのは、難しい。でも、行動を変えるのは、その日からできる。行動が習慣になって、習慣が、気持ちを変えてくれた。私は、たぶんこの順番で変われたんだと思います。
自分が仕事に出られているのは、妻のおかげだった
全力で育児に向き合うと決めて、しばらく経った頃でした。
家事を全部引き受け、子どもと全力で遊ぶようになって、自分の中で何かが変わってきた感覚がありました。
そんなある日、ふと気づいたんです。
私が今、こうして毎日仕事に出られているのは、妻が家を守ってくれているからだ、ということに。
子どもを保育園に送り、迎えに行き、夕食を作り、寝かしつけまでやってくれているのは、妻でした。妻が家を回してくれているから、私は会社で仕事に集中できる。子どもが急に熱を出しても、最初に駆けつけてくれるのは妻でした。保育園からの連絡も、まず妻のところに入る。
それを、私はいつから「当たり前」だと思うようになっていたんでしょうか。
仕事が忙しいことを理由に育児から逃げていた頃の私は、妻に支えられて働かせてもらっている、という事実から目を逸らしていただけでした。「俺が稼いでいる」と、どこかで思い上がっていた部分があったと思います。本当は、妻のおかげで稼げているのに。
これは、行動して、しばらく経ってから、ようやく心の底から思えるようになったことでした。動く前にこの感覚にたどり着いていれば、もっと早く動けたのかもしれません。でも、たぶん、動いてみないと分からなかったんだと思います。
これはひとつの選択肢にすぎない
ここまで読んでくれたパパに、最後に伝えたいことがあります。
私が書いてきたのは、極端な選択です。趣味を全部手放すなんて、普通は無理だし、無理してやるべきじゃありません。「ほどよく関わる」で家族の一員に戻れるパパは、そのほうが絶対にいい。
私がここまで振り切ったのは、中途半端だと永遠に変われないと思ったからでした。妻に「1年前と何も変わっていない」と言われたあの夜の、頭に血が上った感じが、しばらく消えなかったんです。
でも、それは私の話です。
自分にとっての「全力」を、自分で決めればいい
大事なのは、自分にとっての「全力」の意味を、自分で決めることだと思います。何を手放し、何を引き受け、どこに自分の時間を使うか。それは、夫婦の数だけ、答えがある。
削れるところは、削っていい。家事の効率化に課金してもいい。外注してもいい。むしろ、削らないと続かない。その上で、どこに全力を注ぐかは、自分で決めていい。
行動を変えると、後から全部ついてくる
あとから振り返って気づいたことがあります。
妻が求めていた「ふたりで育児をしている実感」とは、結局のところ「主体性」の話だったんだと思います。タスクをこなす量ではなく、自分で見て、自分で動く姿勢。「言われてからやる」じゃなくて「自分でやる」。これが、家族の一員と、ただの同居人を分ける線でした。
そして、不思議だったのは、主体性って、考え方を変えてから生まれるんじゃなくて、行動を変え続けた結果として、後からついてくるものだったということです。「主体的になろう」と思って主体的になった日は、1日もありませんでした。気づいたら、なっていた。
これは、気持ちも同じでした。
「変わろう」と思っても、最初は気持ちがついてきません。妻に優しくしようと思っても「なんで自分ばっかり」と思ってしまう。子どもと遊んでもつまらないし、家事も面倒くさい。これは、私も全部、通った道です。
でも、行動を続けていると、いつのまにか気持ちが追いついてくる。主体性も、気持ちも、全部、行動の後からついてくるものだったんです。
考え方を変えるのは、難しい。でも、行動を変えるのは、その日からできる。
私は、この順番でしか変われませんでした。
(行動から変えるための具体的な方法は、別の記事でもう少し詳しく書く予定です)
同居人から、家族の一員に戻るまで

あの夜から、2年が経ちました。
正直に書くと、この2年の間にも、もう妻の顔を見るのがしんどい、と思った日が何度もありました。家に帰りたくない、このまましばらく帰らずに、自分の存在感を示してやろうか、と思った日もあります。
それでも続けたのは、たぶん、もう一度家族に戻る以外の道を、私が選びたくなかったからだと思います。
妻は、少し変わりました。 いや、正確には、少し昔に戻ってくれたような気がします。あの、笑顔の多かった、楽しかった日々に。
「ありがとう」と言ってくれる回数が、増えました。「ちょっと余裕ができたから」と、私が引き受けたはずの家事を、妻のほうがやってくれる日もあります。子どもが寝た後、私が帰ってくると起きて、晩酌に付き合ってくれる日もある。子どもを預けて二人でランチに行こうと、妻のほうから誘ってくれる日も増えました。
このブログを再開できたのも、妻が「もう書いてもいいんじゃない?」と言ってくれたからでした。
同居人だった私が、家族の一員に戻れた感覚があります。 あのとき、逃げなくてよかった。今は、そう思っています。
